百厘経済政策研究所

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財政支出規模の検討

 

財政出動の余地はあるか

 先般行われた2021年衆議院議員選挙の党首討論においては、景気刺激策としての財政出動(減税や国民への支給も含む)の是非が争点のひとつとなっていました。特に一部政党の主張が興味深く感じられたこともあり、財政出動について考察してみます。

 私が注目したのは、インフレ率に主眼を置いた財政政策です。
 現在、日本の国債発行残高は地方債を含めて1,000兆円を優に越しており、約500兆円であるGDPに対する比率(2倍超)は、主要先進国内において断トツのトップです。日本における財政破綻懸念が、近年は大手マスメディアでも報道されています。
 なお財務省公表数値によると、各国比較は以下の通りです。

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 これに関して、日本政府保有の不動産や、米国債を中心とした金融資産を対応資産として控除すれば、実質的な債務残高は約半分になるとの見方もあります。しかし、ここでは論点から外れるため、詳細な検討は割愛します。
 上記懸念に従えば、「更なる国債を発行して財政出動を行う余地は限られている。むしろ増税等により財政を引締めて、将来的な社会保障費の増大へ備えて財務健全性を維持しなければならない」というような論調が導かれやすいものと考えます。

 一方インフレ率に着目すると、消費者物価指数なのか企業物価指数なのかで若干異なりますが、全体として然程の上昇率にないことから、まだまだ財政出動の余地は十分にあるとの見方も可能です。
 一部政党による主張例としては、「インフレ率2%をひとつの目安とし、仮に国民1人あたり10万円の給付(10兆円規模)を4年間、すべて国債発行で賄って実行したとしても、インフレ率は最大で1.85%までしか上昇しないから問題ない」というものがありました。
 このような主張が根拠として用いているのはMMTと称される経済学説であると考えられます。本稿では、MMTの分析を行いながら、積極的な財政出動の是非を考察していきます。

MMT概説

 まずMMTとは、Modern Monetary Theoryの略であり、現代貨幣理論と訳されます。MMTの主張を端的に表現すれば、通貨発行権を有する国家において、自国通貨建ての国債がデフォルトすることは理論的にありえないため、財政規律についても、政府債務の残高ではなく主にインフレ率に基づくべきであるというものです。
 日本にあてはめると、政府債務の残高は(GDP比)多額であってもインフレ率はそれほど高くはないため、財政拡大余地は十分にあるとの結論が導かれます。
 この論説自体は、日本は財政破綻も近いのではと懸念を抱いていた身からすると、まだまだ日本財政は健全だと言ってもらえているようでもあり、本当にその通りなのであれば嬉しい限りです。
 ただ果たして、鵜呑みにしてしまって大丈夫なのでしょうか。私が着目し本稿で焦点としたい箇所は、「インフレ率を財政規律の根拠とすることの是非」と「世代間公平性の是非」の2点です。

インフレ率を財政規律の根拠とすることの是非

 MMT論者によって主張は若干異なるようですが、一般的なMMT論者は、インフレ率の上昇を財政拡大に対するアラート指標として捉えているようです。
 その水準については様々あるようですが、概ね2~4%程度を上限として位置付けている場合が多いようです。MMTにおいては、インフレ率が目標でもあるし、かつアラート指標でもあると言えるでしょう。
 このインフレ率に関連してMMT論者が主張することに、「デフレであれば現預金の価値が高まっていく一方でインフレであれば低くなっていく。そのため、デフレであれば現預金を保持し続ける誘因が働くしインフレであれば早々に使ってしまおうという誘因が働く。したがって景気を活性化するためには、インフレ環境の方が望ましい」というものがあります。
 一般消費者がインフレ率を意識して消費行動を行うかはわかりませんが、理論上は当然のことであり、実際問題としても何らかの形で影響を与えることは合理的に推測できます。
 一方、インフレ率が行き過ぎた場合、極端ですが戦後ドイツや近年でもベネズエラ等で見られたハイパーインフレでは、まるで社会秩序を維持できない水準にまで高騰してしまっており、一定の水準に抑えることが必要であることは自明です。
 先進各国の中央銀行も、概ね2%程度の安定的な物価上昇率を目標としていることは、上記を背景としたものと考えられます。

 したがって、たとえば2%程度などプラスのインフレ率維持を目標として、現状よりもインフレ率を上昇させるための政策は望ましいものと賛同できますし、アラート指標としてインフレ率の高騰抑制が必要であることは理解できます。では、果たして考慮すべき事項はこれらだけで十分なのでしょうか。政府債務残高は本当に無視しても良いのでしょうか。

財政拡大アラート指標の追加

 私としてはここに、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)または国債金利の推移も指標として加えるべきと考えます。
 なぜなら、MMTでは焦点がインフレ率にあてられており、財政破綻リスクの問題が十分に考慮されていないと考えられるためです。
 MMTが前提としている、「通貨発行権を有する国家における自国通貨建ての国債がデフォルトすることは理論的にありえない」という理屈には、国家がその気になれば自国通貨建ての国債を幾らでも追加的に発行できる、という前提があると解釈できます。
 平常時であればその通りでしょうが、万一、世界中の誰もが日本国家の財政等を信頼しなくなれば誰も国債の引き受け手はいなくなり、上記前提が崩れる可能性もゼロではありません。従って、財政規律から政府債務水準を除外することはできないものと考えます。
 ただし、その絶対額やGDP対比の比率でもって判定することは合理的ではありません。国家には債務に対応する一定の資産があり、また数値に現れない人的資産や信頼性、将来性など、有形無形の様々な資産があるためです。
 すなわち、そういったものを総合的に勘案して財政状態を評価すべきであり、そのためにはCDSを重視することが合理的であると考えられます。
 CDSとは保険のような金融商品です。デフォルトイベント(債務不履行や条件変更等も含む)が発生した場合には、CDSの売り手が損失を肩代わりし、買い手は元本等に相当する金額を受け取ることができます。
 日本の5年物CDS価格は2021/11/15現在で17.9ベーシスです。100ベーシスが1%相当なので、日本のデフォルトイベント発生率はせいぜい0.2%程度であると評価されていると考えられます。この数値が安定していることをもって、財政拡大余地の十分性を評価できるといえるのではないでしょうか。
 なお、国債金利で評価する方法にも、同様の合理性があります。理論上、国債金利はインフレ率+デフォルトリスクと表現できますので、CDSの価格上昇は、国債金利上昇にもつながるためです。

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世代間公平性の是非

 もうひとつの焦点は、世代間公平性です。
 MMT論者によれば、国家が永遠に続くことを前提とすれば、将来世代も常に国債を発行し続ければよいため、世代間の不公平という問題は発生しないと主張しているように見受けられます。
 こちらは少し論理が乱暴かなと思う一方、一定の合理性も認められます。

 まず、問題の有無という点では、間違いなく問題は存在すると考えます。
 たとえば未来永劫存続するような超優良企業があったとして、いえば幾らでも銀行が貸してくれるから借金し放題なんていう財務部担当者がいたらどう思うでしょうか。もちろん、会社と国家という違いはあれど(だからこそ一定の合理性として後述いたしますが)、借入主体と貸付主体が誰であれ、少なくとも両者が存在しているという動かすことができない事実に照らせば、いま私達が借りたお金の返済が、将来世代の誰かに請求されるという意味での世代間の不公平は、間違いなく存在するといえます。しかし一方で、この不公平性は絶対的なものではないと考えます。

政府支出に伴う利益と負担の整理

 たとえば政府が1億円の国債を発行し、同額1億円で洋上に風力発電設備を設置すべく設備業者A社に発注したとします。A社は売上1億円に対応し、材料費に3千万円、作業を行った従業員への賃金に3千万、残り4千万円の利益のうち1千万円を法人税等として国家に納めたとしましょう。従業員は全額貯金しA社は全額留保したと仮定し、減価償却は無視します。この場合、次の世代に残るものは何でしょうか。
 まず国家としては、1億円の国債発行による財政出動に対して1千万円の増収がありましたので、差引き借金は+9千万円です。国民は+6千万円の資金を手にしました(従業員3千万円とA社3千万円)。また国家の資産として風力発電設備1億円が残っています。
つまり国全体としては、今後の世代が負担する借金は9千万円しか増えていないのに、資産は1億6千万円も増えています。

 次に別の事例として、政府が1億円の国債を発行して国民に給付し、国民が全額をサービス需要に使ったとしましょう。飲食、旅行、観劇など様々あります。それぞれのサービスを提供する企業の合計として、売上が1億円計上されることになります。その分配は、賃金として6千万円、残り4千万円の利益のうち1千万円が法人税等として納税されたとしましょう。従業員分は全額が預金され、会社利益3千万円は全額留保されたと仮定します。この場合、次の世代に残るものは何でしょうか。
 まず国家としては、1億円の国債発行による財政出動に対して1千万円の増収がありましたので、差引き借金は+9千万円です。国民は+9千万円の資金を手にしました(従業員6千万円と会社3千万円)。
 つまり国全体としては、今後の世代が負担する借金と同額の資産を、現在の国民が手にしています。
 仮に国民が一切サービス消費にお金をかけず、全額を預金に回したとしても借金と同額の資産を国民が手にしていることには変わりません。

 最初の事例についてですが、設備投資を行う場合は、将来世代に対して価値ある資産を残しているわけですので、対象資産の価値次第ではありますが、原則として将来世代にツケを残すという言い方にはならないものと考えます。
 次の事例については、消費だけで完結する場合(および預金にのみ回る場合)、これから生まれてくる世代が、現世代が負った借金を負担するという意味での不公平性は否定できません。
 ただしこの不公平性は、将来世代への所得再分配・資産再分配政策によって解決可能であると考えます。
 つまり、上記不公平性はひとつの時代の中で完結する不公平性ですので、例えば「今の20代30代が60代以上に比べると恵まれていない」と判断するならば、60代以上を引締め、20代30代を優遇するような政策、たとえば年金負担額と支給額の調整や、医療費自己負担率の調整、所得税率の調整等を行えば良いと言えます。

 以上を要約すると、
「国債を発行して財政出動を行う場合、その資金がどこに向かうか(端的には投資に回るのか、消費・貯蓄に回るのか)によって世代間の不公平性は生じるため、不公平性を緩和するという意味では設備等投資の方が望ましい。
ただし消費・貯蓄に回り不公平性が生じたとしても、当該不公平性は将来世代に対する再分配政策によって解決可能なものである」
と言うことが出来ます。

まとめ

 財政政策の現状からは、緊縮財政を重視する声が大きく、財政出動を積極化する動きはそれほど大きくないという印象を受けます。しかし、それぞれの考え方に一定の合理性が認められる以上、後者だけが誤りであると決めつけるべきではありません。
 ただし仮に財政支出を積極的に行っていくとしても、上限が存在することは間違いないため、国益期待値が高いものから優先的に実行していくべきでもあります。
 私たち国民としては、政策決定において今後の社会状況が的確に分析され、どこに課題があるかを捉えた上で適切な判断が行われているかを注視していくべきだと考えられます。